· 

professional

professional、いかにも技術屋が好みそうな響きのある言葉です。

 

とりわけ技術畑出身のarts氏には、わりと身近な言葉でもあり、

そして、多くのプロを見聞きしてきました。

 

改めて、辞書で語彙の意味を調べてみると、

英和辞書では、profrssional  (形容詞) 専門(知的)職業の~、職業上の~、本職の~、

(名詞) 専門(知的)職業に従事する人、玄人(くろうと)、専門家、

 

国語辞典では、 プロフェッショナル 職業的~、本職の~、  

といった意味のようで、どうやら、必ずしも技術職(手に職)ばかりをあらわしているようではないようです。

 

使われる場面では、「プロに任せておけば安心」 「プロ並み」 「プロとして恥ずかしい」、「あなたはプロなんだから」、 「俺はプロだ」、等、よく耳にしませんか。

 

その言葉の意味には、「特別の」、「その人だけにある何か」、を表していますね。

「特別な何か」、を持っているから、他の人より優位に立ち、任せられる。

「特別な何か」に近いことをすると褒められ、

「特別な何か」を持っているにも関わらず(持っているものと認められている)、ミスをすると

非難され、自身でも反省し、

「特別な何か」を持っていることに誇り、自信があれば、自画自賛する。

 

その「特別な何か」とは、手に職といった技術的なものや、知識であったり、

いろいろな意味での技、テクニックといった小技も含まれるのではないでしょうか。

 

ところで先に、多くのプロを見聞きしてきました、と言いましたが、

その中でarts氏の心の中に残っているプロたちがいて、

本日はそんなプロたちのお話をしたいと思います。

 

かつてarts氏が、見習いを終え、そろそろ磨きがかかるだろう頃、

すっかり調子に乗り、「俺はプロだ」と先輩、同僚らに言いました。

そんなこと言おうものなら、それは火をみるより明らかで、

みんなにコテンコテンにされてしまいました。

そして、会うたび会うたびに 「よう!プロ!」とか、

ヘマをすると 「さすがプロは違うな!」と揶揄されたものです。

 

しまいには、「お前がプロなら、おれはフロだ!」と訳のわからないことを言われ、

「俺はフロだから、風呂に行くわ!」と言って帰っていったのでした。

その人はおっちゃんと呼ばれており(名前をつけたのは、arts氏でしたが)、

おっちゃんは当時90系のマークⅡにのっていて、トランクの中には風呂道具を積んでおり、

毎日、銭湯によるのが日課だったため、自分でフロと言ったのでした。

とりわけこのおっちゃんは数々の武勇伝があり、もう、それだけでひとつの物語が出来上がるほどです。

 

結局のところ、たいした仕事も出来るわけでもなく、ちょっと自信がついたものだからと生意気なことを言うものだから、周りからいじめられてしまうのは必然であり、そもそもプロだということは周りが決めることなのだと気が付くのにかなり時間がかかったようでした。

 

得意先の整備工場では、工場内には班長がいて、その班長にも序列が保たれており、第1班長から第2、第3と3人の班長の下、切り盛りされていました。

その第1班長が偉いのは、誰の目にも明らかであり、工場内にはいつも罵声が飛び交っており、

配達に行き、工場の中に入るたび、緊張させられる工場でもあったのです。

その第1班長は整備はもちろんのこと、エンジン電子制御やオートエアコンといった電子回路レベルでの

知識と技術をもっていて、顔はまさに鬼のごとく厳しい顔つきをしていました。

他社の班長でありながら、arts氏はその班長こそがプロであり、お手本なのだと、敬意をもってその班長に接していたものです。 

 

そして月日が流れ、プロとはなんぞやなどと考えることもなくなったある日、

「俺はプロだ!」と豪語する人物に出会いました。

なるほど、確かに仕事は速いようだ。

いろんなことも知っているし、動きも機敏だ。

 

誰にいわれるもなく、プロを醸し出しているその人は、自称プロであり、

その技術的裏づけもあったのかもしれませんが、ある時、

彼の仕事の後のクレームがはいり、その対応に行くことになりました。

なんでも、「前回来ていった人以外の人に来てほしい」との、お客様の要望とのことで、

かわりにお客様の自宅に向かい、その仕事の手直しに向かいました。

お客様にクレームの内容をよくよく聞いてみると、特別技術的にヘマをしたわけではなく、

ただ、作業が終わったあとに一言、言ったそうです。

 

「施工書に書かれているからそのように設置したが、これだと機器の裏側の部品が出ているので、

子供が手を入れると怪我をするかもしれないから、子供を近づけないように」 

 

本来、設置する機器の背中面は壁面にあわせて施工するようになっているものだが、設置場所のスペース上の問題もあって、側面に設置するようにしたものらしい。

確かに、そのように設置する場合、なんらかの保護柵等の対策が必要と思われ、ならば、

設置の際になんらかの対策を講じるもののはずだが、注意だけ促しておいて、

あとはユーザー側で管理しろとは、あまりに乱暴だと思われる。

その対応も威嚇的であり、お客様もすっかりこわくなってしまったそう。

 

結局、お客様側でスペースがないにも関わらず、無理くりその機器を本来あるべき場所へ移動し、

その際、機器をおかしくしてしまったのではないかと、点検してほしいとのご依頼だった。

一通り、機器の点検を終え、なんでもない旨伝え、作業をおえたのだったが、

とても後味の悪い覚えをしたものでした。

 

技術的に勝っていても、ユーザーに対してさえ、プロをかざす行為はとてもプロには思えず、

、周りが認めてこそという定義からまったく外れているものなのだろうが、

おそらく当の本人はそれに気が付いていないのかもしれない。

 

ある分野において、長く専門にやっていたなら、それはやがてプロになっていく。

その培われた自分のフィールド、あるいはその土俵の中で、

専門性をさらに高めることができるなら、とてもすばらしいこと。

しかしながらある時、他者がその専門分野に頼ってきたとき、他から入ってきた仕事に対しては「貸し」といい、その専門の延長線上にある、別の土俵に頼むことを「借り」といい、

専門職であるがために、業務上の貸し借りがまかり通る話も耳にすることがある。

そんな風潮が、最近は多いのかもしれない。

 

改めてプロとはなんなのかと、自問自答した時、いまさらながら気づかされることがある。

仕事の流儀、すなわちプロなんてものは、存在しないのだと。

 

あるのは、ただ一生懸命やっていること。

人を尊重し、そして、困っているひとがもし、そばにいるなら、自分をなげうってでもフォローに回ること。

そして、あたわったものを、なし続けること。

それが出来るなら、それは何にも勝るもの。

 

そんな時間の中を過ごすうち、自分だけの土俵が出来上がり、

それはどこへでも持っていける自分だけの土俵で、やがて磐石なものとなすはず。

 

今年の5月、ある食堂の店主がなくなりました。

その食堂の名前は 木古内にある「駅前飯店急行」。

メニューの焼きそばがとても好評で、鉄道ファンはもとより、全国からも訪れる老舗の食堂でした。

そこの店主である、垣内キミさん(88歳)が最後の仕事を終え、そのまま帰らぬ人になってしまったのです。

名物の焼きそばを作り続けて約60年、急行が止まるようになればいいのにねと、つけた名前の店名。

その後、急行が停車するどころか、新幹線が停車するまでになった、

その町で長く自分だけの土俵を守ってきたのだと思います。

そして、最後の最後まで、自分の続けてきたことを成し遂げるその姿は、心にいつまでも響いていきます。

 

以下はネットニュースより抜粋させていただきます。

 

垣内さんが倒れたのは5月16日。夕刊を読み、午後5時ごろにやってきた男性客に焼きそばを作ったあと「背中が痛い」と言って、厨房にある丸いすに腰を下ろした。毎日手伝いに来ていた知内町の宮西容子さん(62)に「水が飲みたい」と頼んだ。宮西さんが湯飲みを取ろうと振り向くと、いすから崩れ落ちるように倒れていたという。

 すぐに救急車を呼びドクターヘリで函館の病院に運ばれたが、午後8時過ぎ息を引き取った。大動脈瘤(りゅう)破裂だった。

 

 道東の浜中町出身。旧国鉄時代、松前線と江差線の分岐点だった木古内駅前で始めた店は繁盛した。「急行でも止まればいいのに」と願いを込めて付けた店名だった。

 

 

 

 

    参考文献 朝日新聞DIGITAL 2017年6月4日より

     http://www.asahi.com/articles/ASK615J08K61IIPE024.html