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川は無常の響きなり

12月のとある日の早朝、当店の裏側に流れる川を眺めてみます。

 

天気予報では毎日雪の予報でありましたが、思いのほか青空が広がり、

とても気持ちが良く、それだけでとても幸せな気持ちになれます。

 

この川は月寒川で、上流は西岡水源地と札幌農場試験場(羊が丘、札幌ドーム周辺)の2つを水源にして出来上がった川のようです。

 

月寒川はとても小さい川ですが、arts氏のよりどころでもあります。

何か気持ちがつまった時はいつも裏側にまわり、この川を眺めます。

それでも気持ちが落ち着かない時は、材木のペーパーを掛け始めます。

無心になって磨き続け、ただただ手の感触を頼りに木材に丸みをかけていくのです。

(これが結構効きまして、心穏やかでない時は、ためしにやってみるといいかも)

 

話がそれてしまいました。

 

arts氏は川の流れを眺めていて気がついたことがあります。

それは、今眺めている水は、その瞬間流れ去り、新しい水が流れ込んでいる連続なのだと。

その瞬間、瞬間を川の流れとして表現しているに過ぎず、あたかも表面上は同じ姿を装っていても、

実はまったく違うものがそこには存在している、 瞬間の連続を継続し続けることで

同じ形を装って見る者に印象を与え続けていく。

 

そしてもうひとつの気づかされることがあります。

 

それは、この流れを止めることは出来ないということ。

たとえ、この流れ続ける水をいつも自分のそばに置いておきたいと願い、川にダムを作り

水をせき止めたとしても、それはやがてダムを超え、また流れ始めるから。

 

もし川の中に入ったとしても、流れてきた水は自分の足の周りをまといながらも瞬間、流れさっていき、

手で水をすくって持ち上げても、それもやはり瞬間、手からすべり落ち、

もとの流れてきた川の一員となって再び流れ始めるのだから。

 

何ひとつとして、それは瞬間であり、永遠にあり続けるものは存在しえないことに改めて気がつかされます。

 

人生という名の川の流れにおいて、人という水の流れがあるのなら、それは常に瞬間であり、

その瞬間を一期一会と受け止める。

 

川からはなにやら、流れ行く音が聞こえてきます。

「コポコポ」「ジャア、ジャア」

 

おや、arts氏からもなにやら独り言が。

「コポコポコポ、ジャアジャア、ジャァァァー」

 

なんと、川と話しているようです。

 

「コポコポ、ジャァザザザァー」

「ジャーコポ、コポコポコポコー」

「コポコポコポ、ザァージャアザザー」

 

やがてarts氏は顔をあげ、すっきりとした表情で川を後にして、仕事に戻っていきました。